Arturia ARP2600 V User Manual Page 8

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ARTURIA – ARP2600 V – USER’S MANUAL
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1 イントロダクション
1.1 アープ・シンセサイザー、そして「アープ 2600」の誕生
アラン・R・パールマン氏(彼のイニシャルがアープ・シンセサイザーの語源になっています)はマ
サチューセッツ州のウースター工科大学に在学中の 1948 年頃、電子楽器に興味を引かれ「電子音
楽」と「ピアノ」の融合について考えるようになりました。
NASA のジェミニと共同開発したアポロ計画用アンプの商品化が彼のシンセサイザー開発への第一歩
となりました。1968 年頃、彼は(伝説によると)« Switched-On Bach(スイッチド・オン・バッ
ハ) » を聞いた後、本格的に電子楽器制作の可能性を探究し始めました。
1969 年、アラン・R・パールマンはデビット・フレンド とルイス・G・ポロック共にアープ社(設立
当時は Tonus Inc,)を設立しました。会社をニュートンハイランド(アメリカ、マサチューセッツ
州)にかまえ、電子製品の開発にはじまり、ついにはモジュラー型シンセサイザー「アープ 2500」を
発表するに至りました。「アープ 2500」では、モーグ・モジュラーに見られるようなケーブルで接続
する方式のシンセサイザーではなく、あらたにシンセサイザー内部をケーブルで接続する方式を開
発・採用し、この方式を採用した「アープ 2500」はアメリカの大学で賞賛を受けました
アープ社はその後順調に発展を遂げ1972 年に伝説のシンセサイザー「アープ 2600」を発表しまし
た。セミ・モジュラー・タイプの「アープ 2600」は大成功を収め、スティービー・ワンダー、ジョ
ー・ザヴィヌル(ウエザーリポート)、トニー・バンクス(ジェネシス)、ジャン・ミッシェル・ジ
ャール、ハービー・ハンコックなど、多数の著名ミュージシャンから支持され、70 年代のシンセサイ
ザーのマーケット・シェアを 40%近く獲得するに至りました。
登場から 10 年の間に「アープ 2600」として 3 種類のバージョンが商品化されました。最初に登場し
たモデルは、青いパネルを採用していたことから « ブルー・ミーニー » と呼ばれました。その後、
同じく 1972 年に 2 つめのバージョン(灰色のパネル・カラーに白いパネル文字が特徴)が製造され、
世界的にアープの名前は世界に知られるようになりました。1978 年、アープ社はシンセサイザー全て
のグラフィックを変更し、黒いパネル・カラーにオレンジ色のパネル文字が特徴的な最終バージョン
を発表しました。
※アープ 2600 V はこの 3 種類のパネル・カラーを選択することができます。お好みのバージョン
のグラフィックを選択してご使用ください。(ユーザーマニュアル 32 ページを参照)
アープ・シンセサイザーの良きライバルにモーグ・シンセサイザーが挙げられます。これら 2 つのシ
ンセサイザーは互いに意識しあっていた痕跡が見られます。例えば、モーグはつまみやベンド・ホイ
ールを使用しているのに対し、アープはスライダーを採用していることなどが挙げられ、互いに独自
性を打ち出し競い合っていたことがうかがえます。
この競い合いには有名なエピソードがあります。アープが使用していた 24 dB/オクターブ・フィルタ
The 4012」は、有名なモーグのフィルターのレプリカだったのです。つい 1973 年にモーグ社
はアープ社を提訴、これによりアープ社はフィルターの回路変更を余儀なくされ「The 4012」の代わ
りにあらたに「The 4072」フィルターを誕生させました。しかしこのフィルターには高周波数の目盛
にエラーがあり、カットオフ周波数がプレスに公表した 16 kHz ではなく、11 kHz を越えませんでし
た。しかしユーザーへのリコールも早く、大きな損失とはなりませんでした。このような背景から
The 4072」が完成する前の初期型「アープ 2600」(« ブルー・ミーニー » 2 つめのバージョン
の初期ロット)には「The 4012」フィルターが採用されています。
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